承認欲求は追求することによって克服される

純粋に海外を見て回りたいという気持ちもある一方で、休学して世界一周できたら回りからすごいやつだと思われるだろうという邪な気持ちも少なからずありました。

そう思うこと自体は青年としては普通のことで、特に問題はないのですが、僕の場合はそれが少し強く出ていたフシがあります。SNSで無駄に主張していたりとか。挑戦すると宣言するだけでも回りからチヤホヤしてもらえるので、承認欲求に溺れていたようです。

今考えると「いいね」なんて何の価値もないんですけどね。どうしてあんなものに固執していたのか不思議です。

当時は、このような承認欲求を追求し、他人から賞賛されることに快感を覚えていました。

しかし、今回、世界一周に挑戦に失敗することで、少しそのような欲求が緩和されました。

そこで、僕が伝えたいのは、承認欲求は追求することによってむしろ克服できるのではないかということです。

僕自身完全に承認欲求を克服したわけではありませんが、承認欲求を追求し、失敗することによってこの欲求は緩和するのではないかと考えています。失敗した瞬間に、承認欲求を追い求めるなんてくだらないことだと自然に思えますし、成功しても失敗しても変わらず接してくれる友人がいてくれることが、緩和に影響していると思います。

一時期流行ったアドラー心理学の本などを読むと、承認を求めることがあまりいいことではないと思えるので、抑えようという意思はあっても、やはり承認を求める人は多いと思います。

僕は、むしろ承認欲求は抑えるのではなく、あえて追求することで結果的に克服されるものだと考えます。悟りを開くというと大げさですけど、特に努力しなくても自然と緩和されるものだと思います。それは、失敗が教えてくれる一つの重要な事柄です。

問題は、承認欲求を追求した結果成功した場合、それが肥大化する恐れがあるという点でしょうか。

しかし、挑戦し続ければいつかは失敗するものなので、遅かれ早かれ解放される時が来るのだと思います。むしろ挑戦せずに承認欲求だけが肥大化していくと生きづらく感じるかもしれません。

そのような点から見ても、失敗することには価値があります。失敗するには挑戦するしかありません。

ちなみに僕は帰国してからFacebookTwitterもやめました。余計なものに煩わされなくなるので、かなりスッキリします。実際にやめてみると、特に困ることはありません。