死と向き合う必要性

休学して世界一周をするとなると、よほど楽観的か無謀でない限りは心配事が尽きないものです。

その中でも死の危険性については最もつきまとうものではないでしょうか。海外にいれば犯罪や病気、テロやその他事故など様々な危険に巻き込まれるリスクが増大します。

僕も海外にいる間も、出国する前にも死ぬことについてはよく考えていました。特に海外にいると普段より強くしについて意識することになります。

死後の世界や輪廻とかそもそもなぜ生命や世界が生まれたのかという問いに答えは(まだ)ありません。しかし、だからと言って生や死のことを考えないでおくべきではないと思います。

死ぬことを強く考えることによって初めてその対比として生きる目的や意義について思索することができます。それについて正解があるわけではないですが、自分なりの答えを常に追い求めていく必要があると思います。

海外一人旅は、死と向き合うのにとてもいい機会です。普段よりも少し危険な空間に身を置くことで自然と死が意識され、考える時間もたっぷりあります。

死ぬことが怖くて海外に行けないという人もいるかもしれませんが、以前も書いたように、最悪の結果とは挑戦せずに死ぬことです。

僕は、人間は死ぬべき時が来たら死ぬのであって、どこで何をしているかは関係ないと考えています。つまり、日本にいようと紛争地帯にいようと死ぬべき時間で死ぬのです。

だから、人生できる限り前倒しで、やりたいことを優先的にやっていくのが死ぬ間際になるべく後悔しない方法だと思います。

もちろん単に無謀になればいいというわけではなく、「いのちだいじに」の精神は持ったままで、挑むべきところで挑む姿勢が大切だと思います。

そもそも、「死ぬかもしれないけどやりたい」と思っているということは、それは本当にやりたいことなのではないでしょうか。

「〜だからやりたい」より「〜だけどやりたい」というのがその人の本音だと聞いたことがあります。

普段平穏な暮らしをしている人こそ、死のリスクを背負って冒険することには大きな意味があるのではないでしょうか。

「価値観が変わる」という単純な言葉で済ませたくはないですが、やはり休学の前後では物事への取り組み方が変わったと自分でも感じています。